新次郎さんの尼崎紡績⇒ユニチカ

 
 
ここは、阪神電車「大物駅」
 

 
そこは、ここから歩いて約15分のところにあります。
 
 
 
 
 
ユニチカ記念館

兵庫県尼崎市の「ユニチカ記念館」が知る人ぞ知る“穴場スポット”になっています。
というのはユニチカの初代社長は、あさちゃんの“旦那さま”の新次郎さん…
(広岡新五郎)なんです。
 
 
 
 
 

原則として水曜日だけの開館ですが、入館無料。
今は、どうなってるのか分りません^^;
 
 
 
 
 
大日本紡績社碑

ユニチカ記念館は明治33年に建設されたレンガ造りの洋風建築。
 
 
 
 
 
 
産業振興を目的に、地元有力者らによって創業された「尼崎紡績」
本社事務所として建設されました。

社名は尼崎紡績、大日本紡績、ニチボー、ユニチカへと変遷していった。
 
 
 
 
同社の記念館2階の大展示室には、同社の歴代社長の写真が並び、尼崎紡績の初代社長の広岡信五郎が左端に掲げられている。信五郎は大同生命保険の創業に関わったほか、加島銀行相談役であった以外に、ユニチカの初代社長でもあった。
 
 
 
 
天皇陛下 玉座

 
 
 
 
 
 
記念館2階の大展示室には、同社の歴代社長の写真が並び、
尼崎紡績の初代社長の広岡信五郎が左端に掲げられていました。

 
 
 
 
 
 
白岡 新次郎(広岡 信五郎)初代社長

新次郎(信五郎)は大同生命保険の創業に関わったほか、加野銀行(加島銀行相談役)
であった以外に、ユニチカの初代社長でもあった。
 
 
 
 
 
尼崎紡績役職員記念写真

 
 
 
 
 
 
当時の帳簿など資料関係の展示…

昔のユニチカ宇治工場の設計図なども…
 
 
 
兵庫県なのに尼崎市の電話市外局番が大阪と同じ「06」なのは、この尼崎紡績が
同社本部(大阪)との連絡を密にする為に独自費で大阪から電話線を引いた事に
よる名残だとか…これも聞いて、“びっくりぽん!!”
 
 
 

業員も1995年にはおよそ2,500人となる大工場に成長します。
 さらに日露戦争で綿のニーズは飛躍的に伸びて、1914年(大正3年)には東京紡績を、
1916年(大正5年)には日本紡績を吸収合併し、精紡機は33万錘にまで増加。
 
 
 
 

この後、欧米列強に独占されていた綿花仕入を強化する会社を設立します。
それが貿易商社「ニチメン」⇒⇒その後、今の「双日グループ」になります。
 
 
 
 
 
 

そして1918年(大正7年)には精紡機が56万錘となり、名称も大日本紡績に改称し、
日本最大の紡績会社となります。
 
 
 
 
 
ニチボー貝塚…「東洋の魔女」ですね。

 
 
 
 
過の東京オリンピックのバレーボール日本代表着用ブレザーと…

大松監督が着用されていたブレザー
 
 
 
 
東洋の魔女の伝統は、ユニチカに引き継がれていきました。

 
東洋の魔女あさちゃん!東洋のマンチェスターを育んだ旦那さま。 
あさちゃんに“おいど叩かれながら”も偉人でした^^
 
 
 
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